MENU
MiYA
暮らし・お金・家族・日々の気になることをのんびり記録しています。

私がやっている「大家」は精神的にも金銭的にも苦しい仕事

  • URLをコピーしました!

ブログでは私の本業についてあまり触れてきていませんでしたが

私の収入のメインは不動産です。

不動産で収益があるなんてすごいと思われる人もいるかもしれませんが、持っている物件はそろそろヤバイ…というような古い建物ですし、入ってくるお金も自分たちの生活が潤うほどの金額ではなく、想像以上に大変な仕事だなと感じています。

目次

 なぜ不動産収益物件を持っているのか

私がなぜ不動産収益物件を持っているのか?

それは

親が亡くなり相続したものです。

私が購入した不動産でもないし、私は不動産に興味があったわけでもありません。

親の突然の他界から、私の大家の仕事がはじまりました。

30歳から突然始まった大家の仕事

私の親が亡くなったのは私がまだ30歳の時のことです。

私の母は離婚しており、私は高校生卒業までは実家で祖母・母・私の女だけの生活をしていました。

祖母がものすごくしっかりしたできる人で、祖母が自分の土地を切り売りし、残った土地に小さなアパートを建て、自分たちの生活のためのお金を作ってくれていたのです。

そんなしっかりした祖母のおかげもあって、私は高校卒業後家を出て進学できました。

そして私は関東で仕事を続けて29歳で結婚。

それから一気に人生を変えるいろんな事件が起こり始めたのです。

私が大家になるまでの経緯

祖母が他界

私が結婚してすぐに祖母が亡くなりました。

その時は私は関東に住んでいましたが、夫も一緒に祖母のお葬式へは行ってくれました。

祖母には二人子供がいて、私の母と、母のお姉さんです。

その時は私もまだ20代。実家の土地がどうなっているのかなんて、母から聞いたこともありませんでしたし、どういう状態になっているのかなんて聞いていませんでした。

祖母のお葬式当日から、母と母のお姉さんとの恐ろしい相続争いがはじまったのです。

テレビのドラマなんかで、遺産をめぐって相続争いするようなドラマはたくさん見ていましたが、現実に目の前で起こると本当に恐ろしいです。

この恐ろしい相続争いの話はまた自分の気持ちを整理して記事にできればと思います。

(本当に恐ろしい争いなので、今思い出しても胸が苦しくなるので…。)

母が他界

そんな相続争いをしている中、心労もあってなのか、祖母が亡くなってから1年後くらいから母の体調が悪くなり、祖母が亡くなってから3年も経たずに亡くなってしまったのです。

母の体調が悪くなり始めたのは私の妊娠が判明してすぐの事でした。

私は関東に住んでいて、つわりがひどかったこともあり、すぐに実家へ戻ってあげることができませんでした。出産は里帰りも考えていましたが、出産も間近になってくると、産科の先生からもそんな実家の状況で里帰りをするのは賛成できないと言われて、里帰りは諦めて関東で出産をしました。

出産後少し落ち着いてから、母の体調もよくならないので、関東から移住することを決意しました。

夫も快く賛成してくれて仕事を辞めてついてきてくれることになったのです。

実家へ戻ってすぐに母は亡くなりました。

思い返せば、たくさん悔やまれることはありますが、孫の顔を見せることができ、少しだけでも一緒に過ごすことができてよかったのかなと思っています。

私は不動産のことは何も知らなかった

祖母・母とたて続けに亡くなり、気づけば家の事はすべて私に回ってきていたのです。

母が亡くなったとき、実はまだ母と母のお姉さんの相続の決着はついていませんでした。

ここから私と叔母との恐ろしい相続争いとなるのですが、これもまた整理して書いてみようと思います。(思い出すと胸が苦しくなるので…。)

母の死を悲しむ暇もなくいろいろと大変な状況でしたが、祖母の遺言もあってなんとか相続の件は落ち着きました。

そしてそこから私の大家という仕事がはじまったのです。

母から不動産のことは全く何も話を聞かされていなかったので、残された不動産物件の契約書・母の通帳に毎月入金されている金額などを手あたり次第調べまくり、不動産屋・市役所・銀行・税務署・法務局を渡り歩く日々でした。

その時、息子はまだ0歳。

育児もしっかりやりたいのに、それどころではないし、息子も放っておくわけにはいかない。たぶん頭の中は相当なパニック状態の毎日だったと思います。

今思えば自分でもそんな状況でよくやっていたなと。

私はしっかりと息子と向き合って成長を見れていたのだろうか…と悔しくなり思い出すと泣きそうになります。

そこからまたいろいろとあり、夫の仕事でまたすぐに実家を離れ引越しをすることになってしまうのです。

なんだかこの話の経緯をちゃんと書いていると、1冊本ができるくらいになりそう(笑)

書きたいことはたくさんありますが、大家の話に戻します。

大家は楽じゃない

まだまだ大家としてわからないこともたくさんありますが、10年なんとかやってきて、大家なんてできればやりたくない!というのが正直な気持ち。

私が所有している物件は古いということもあり家賃は安いです。

物件がある場所は田舎の町で、人口がどんどん減少しており、空き家や空き地が増えてきているようなところです。

人口は減っているのに、少し前に大東建託のようなところの営業がすごかった時期に新しいアパートがたくさん建ち

私の古いアパートは満室にはなることはありません。

ですが

保険や税金は払わないといけないし、修繕にもお金がかかる。

最近は、天候がおかしくなってきて災害も多いですし、雨が降るとか台風が来る度にヒヤヒヤします。

今はいい人ばかりが入居してくれているので落ち着いていますが、この10年の間には入居のトラブルで面倒な事件もいくつかありました。

不動産屋・入居者さんから私の携帯に着信が入るたびに

退去か!?修繕か!?トラブルか!?

とドキドキで精神不安定になります。

そんな大変なら土地を売ってしまえばいいじゃないか!と思いたくもなりますが、そうもできない事柄が、まだ叔母と相続の時の問題もあったりします。

人口も減って空家・空地も増えている町で買い手もつかないような感じでもあります。

これからもなんとか続けていかなくてはいけない。

そして今後どうしていくかをしっかりと考えなくなてはいけません。

お金のこともしっかりと勉強しながら一番いいやり方を考えていければと思っています。



この記事が気に入ったら
フォローしてね!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次