1月11日の19時前。
山形県に住んでいる義父から私の携帯に電話がかかってきました。
「おかんが倒れた。意識がなくて救急車で運ばれている」
と…。
旦那に何度か電話をしたようでしたが、旦那はちょうど帰宅途中で電車に乗っている時間だったので、電話に出れなったようです。
どうしよう…。
とりあえず旦那にメールをし、帰りを待つしかありませんでした。
倒れた原因はくも膜下出血
19時半過ぎ旦那が帰宅。
帰宅途中で義父に電話をかけたようで
義母は病院に到着し、検査中という話でした。
結果の連絡があるまではどうしていいかもわからなかったですし、夕飯の準備もしていて、子供もお腹をすかせていたため、とりあえず頭真っ白の状態で家族で夕飯を食べました。
その後義父から連絡があり
くも膜下出血でさらに脳出血も起こしているとのこと。
とてもよくない状態で
このまま手術をしなければ助からない。
手術をしても
●助からない可能性30%
●助かっても障害が残る可能性30%
という状況。
病院からはすぐに家族に連絡をという話だったようです。
そして義父は手術をすると決めました。
朝を待たずに車で出発
すでに夜の9時を過ぎていたので、西日本の我が家から東北へ行く手段はもうない。
とりあえず朝を待ってから出発しようと最初は話をしていましたが、気になって夜は眠れない。
新幹線や飛行機を使ってもすごく時間がかかることには変わりがないので
少し仮眠をして午前3時に東北へ向けて車で出発をしました。
週末は大寒波の予報
はたして車で東北まで行けるのかという心配もありましたが、もう考えている時間もなく、行くしかない!となりました。
普段雪なんてほとんど降らないし積もらないところに住んでいるので、一体何を準備していいかもわからないし、パニック状態になっていて頭もまわらず、その辺にある衣類を適当にキャリーとリュックに詰め込みました。
大雪の北陸~東北へ
山陽自動車道ー中国自動車道ー若狭舞自動車道ー北陸自動車道ー日本海東北自動車動
という経路。
若狭舞鶴自動車道で日本海側で出るころには雪がすごい勢いで降り出していました。
行きの道中はまだ車で走るには問題ないくらいだったので、12日午前3時過ぎに家を出発して、途中少し休憩しましたが、ほとんど車を走らせっぱなしで、12日午後5時頃に山形県へ到着しました。
意識が回復
東京に住んでいる義弟も朝一の飛行機で帰ってきており、無事に手術が終わって一旦家に戻っていた義父を義弟と合流して、病院へ。
午前中はまだ意識がない状態だったようですが
集中治療センターへ行くと義母の意識が戻っている!
左半身は麻痺で動かなくなっているようでした。
意識が戻ったばかりでしたが、言葉ははっきりとしていて、家族の顔を見てしっかりと認識できていました。
ですが頭蓋骨の一部は外されている状態のままなので、触ってしまうといけないので、右手右足は拘束されており、それがすごく苦痛だったようで、
「はずして、はずして」
と訴えていました。
しばらくは予断を許さない状況
くも膜下出血発症後は再発することも多く脳梗塞や水頭症など、意識が回復をしても、これからまだまだ安心はできないようです。
今後のことを考える
なんとか意識を回復してくれましたが、麻痺が残るとなると今後の生活を考えていかなくてはいけません。
頼れる親戚はほとんどいないため、しばらくは義父が一人で面倒をみていくことになってしまいます。
義弟は関東・私たち家族は西日本。
どちらも今後東北へ住むということは全く考えていないため、兄弟でこれからどうしようと相談し考えていくことがたくさんありそうです。
しかも、義父は息子たちの意見はほとんど聞こうとせず
「かまってくれなくていい」
と意地になってしまっているため、どうしていくのが一番いいのか。
帰ってくるのに大雪で3日もかかった
容態も安定しているようなので、13日の夕方山形県を出発しました。
雪ヤバイ…
ものすごい大雪で吹雪でも高速道路を通行できるということがビックリですが、走っていても目の前が真っ白で何も見えない。
コワすぎる…
何も見えない状況で運転している旦那を尊敬します。
雪国で育った旦那でもこれほどの雪道を走るのは経験がないということで、怖がっていました。
さすがに夜走るのは危ないということになり、新潟で一泊。
そしてもちろん次の日もものすごい大雪。
14日は新潟から金沢までしかたどりつけませんでした。
そして金沢でさらに一泊。
この調子だと15日中に帰るのは無理かと思いましたが
15日は金沢から順調に走ることができて15日の夜やっと帰ってこれました。
息子は、こんなたくさん積もった雪をみるのは初めてだったので、雪合戦をしたり大きい雪だるまを作ったり楽しんでいました。
大変だけど家族は大切
今後義母はどうなっていくのかはまだわかりませんが、家族は大切なものだとすごく感じました。
いつも会えばケンカばかりしている家族で、今後のことを話をしていても義父と息子たちで意見が対立してまとまりませんが、話をできる家族がいるということはすごく幸せなことです。
みんなが幸せでいられる結果になればいいなと願っています。